今月5月の川崎港訪船チーム活動報告は5月23日木曜日の一件です。
汗ばむ陽気の中、カトリック横浜教区神奈川第1地区の5教会のメンバーがひとりづつ参加しての訪船活動となりました。川崎市営千鳥町埠頭では事前の東洋信号通信社のポートビューどおり2隻停泊中です。メインゲートでは見習いの警備員のようです。税関の書類をみせ書類に記入。いつもは入港タグをもらうのですが、見習いさんを指導していた警備員はタグをつけなくてもいいと指示(もしかしたら、税関の「交通許可」があれば必要ないのかもしれません)。
ゲートに近い船には大型トレーラー5,6台連なって、その車列を回り込んでタラップに近づくのは不可能です。税関で記入したNEW SILKROAD 2はパスしました。次のベトナム船籍の5千トンにばら積み船のTRANSCO STAR に向かいました。ベトナム船籍のこの船には19名のベトナム人の乗り組んでいました。今回は、持参品がすくなく、9本の歯ブラシと6個の歯磨きチューブ、折り鶴は人数分です。2名のベトナム人は埠頭まで降りて来てくれて、船にあがれと言ってくれます。英語も堪能です。船の上でこれからの寄港先などたずね交流しました。川崎港からおなじみの韓国の唐津に27日にむかいます。
東扇島埠頭には2隻でしたが、煙突の二本線が目立つ日
本郵船の3万トンの船のパナマ船籍NORD TRUSTに訪船しました。日本郵船の船だったのた関係もあり、乗組員はすべてフィリピン人の船員さんです。甲板はかなり高く、ゆれるタラップでの乗船は階段の隙間から下がはっきり見え、高所恐怖症には無理かもしれません。タラップの横の柵をつかむと油で手が汚れることがあります(乗船する場合は軍手が必要)。
船員さん達から神父さんにミサが出来ないかという質問もありましたが、準備の都合、貝塚教会を紹介しました。しかし、翌日にはには名古屋に出発するので、貝塚教会の主日のミサに参加することは無理でした。名古屋のあとは大阪、新居浜をまわるそうです。船に備え付けの大きなクレーンが木材を搬入していました。案内された食堂ではコーヒーをご馳走になりました。昼食もどうかと勧められたのですが、船員さん達は誰一人も昼食時間間近でも食事をしていないので遠慮しました。貝塚に残っていた最後の持参品、歯ブラシ3本、歯磨きチューブ2個、トラベルセット1ヶ、折りたたみ傘1本を渡しました。折り鶴は人数分です。折り鶴はとても喜んでくれました。千羽鶴を知っているようで、糸でつるすのかと聞いてきます。膨らませ方をおしえて、一羽でもこんな風につるせばと見せてあげました。こんなに喜んでくれるのなら、これからも各教会で沢山折ってもらいます。
海員生協の食堂は、12時少し前だったのでかろうじて駐車でき、3品定食もあった昼食をいただきました。
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晴海ふ頭に停泊中のクルーズ船からミサの依頼があり、濱田神父とAOSスタッフ3名で訪船し、船上でミサをあげました。ミサの参加者は主に乗客でしたが、聖体拝領の際には乗組員も加わって、総勢50人位の参加がありました。朗読や共同祈願は乗客の協力も得、長い航海のひと時、ともに主の食卓を囲んだ貴重な時間でした。
御復活おめでとうございます。復活祭第2の主日が終わると長い連休です。4月の川崎港訪船チーム活動報告は、3回分の掲載です。よろしくお願いいたします。
1.2019年4月11日の訪船報告
4月11日、天気予報通り晴天、気温は上昇。ただし、風が強く、港ではさらに強くなりそうな気配です。大岡川の桜は川下へ向かって左岸はまだまだ見られそうです。
AOSの車で、9時40分過ぎに貝塚教会へ。プレゼント用品は、主にカミソリ、歯ブラシ、歯間ブラシ、歯磨き粉、シャンプーなどバラバラでしたが、数を数えて積み込みました。
東洋信号通信社のポートビューでは4隻、日本郵船の自動車運搬船がいると思ったのですが、出航済み。横浜税関川崎支署でも、記載された一隻はまだ接岸していないということで3隻の名前を書いて川崎市営千鳥町埠頭に向かいました。
まず、驚いたのは今まで見たことのないようなくず鉄やままたやまです。都市鉱山大国の日本の資源の買い手が少ない・・中国経済の減速の影響でしょうか?
最初の船はMEGUMI、中国人の船員に声をかけると、船長を呼びに行きました。船長さんはシーメンズクラブを知っているが、別に話すことはないということ。次の船に向かいました。
旧英領ホンジェラス(ブリーズ)船籍のHONG YANG。くず鉄を積んだトレーラーが2台、荷揚げの最中。一台目は、鉄のつめのクレーンが鉄くずを積み込み、次に磁石のクレーンが残ったくず鉄を積み込みます。トレーラーの間を縫って船の側へ。中国人の船員さんと話が通じて、15人の船員さんにカレンダー、歯ブラシ、カミソリ、リンスを渡すことが出来ました。英語が少し通じたので、喜んで受け取ってくれました。AOSの車だったので、キリスト教関係だと分かっているようでした。
今日の最後は、市営東扇島埠頭のVIRGO韓国船籍、昨年の7月21日に訪船した船です。出迎えた韓国人の船員さんは覚えていてくれたようです。山東省出身の中国人の船員は英語も上手で、家族の事も話してくれました。インドネシア人には国際運輸労連(ITF)のインドネシア語版を渡しました。ミャンマー人の船員さん、そして13名中一人のフィリピン人の船員さんはセブ島の出身、話が弾みました。訪船スタッフの一人はネイティブのタガログ語の使い手でしたが、フィリピン人の船員さんはネイティブだと思わなくて・・(?)とりあえず、食堂まで案内していただき楽しい交流が出来ました。5カ国船員さんが乗り込んでいるだけに、グローバル化(?)が進んで、オープンな感じで私たちも心が暖かくなりました。船から降りる頃は日差しも強く、強い風も心が暖かくなったせいか心地よく感じられました。船が少なかったので、海員生協の駐車場には待たずに止めることができ、なじみの食堂の従業員に声をかけて楽しい昼食を頂きました。
2.2019年4月25日の訪船報告
川崎市営千鳥町埠頭では、かなりの数のトレーラーの往来、7号で荷役作業中の船には作業員もタラップの途中でクレーンを動きをはかっての乗船。そこで、最初の船は断念し、次のJIA YI6 8千トンに級、旧英領ホンジェラス(ブリーズ)船籍の船に向かいました。神父さんが呼びかけるとすぐに若いミャンマー人の船員さんが降りて来て、英語での会話が進みました。18名の乗組員のうち彼だけがミャンマー出身で、あとは中国人の船員さん。英語も他の船員さん達とはなかなか通じ合わないこともあるとか。職場の待遇面では、問題がないとの事ですが、10カ月間の契約を少し早めに切り上げようかとも・・(前に他の船で、やはり、中国人の船員の中で一人きりだったベトナム人船員が部屋の中まで案内してくれ歓待してくれたのを思い出しました)。岩間神父がどうにかポケット翻訳機を操作して、大きな声のミャンマー語が飛び出すと本当に嬉しそうな顔を見せてくれます。18箇のカミソリを手渡しました。そんな私たちの様子を上の方で見ていた船員のさんにチンライと大きな声で叫ぶと降りて来てくれました。ミャンマー人の船員さんと私たちが笑顔で話しているのを見て、彼も嬉しそうでした。国際運輸労連の昨年度版でしたが中国語版を手渡しました。次に停泊している船にも大きなトレーラーが行ったり来たり。船舷に車を寄せるのも難しい状況なので、これも見送り、次のGUO HONGはシエラレオネ船籍のばら積み船。2千トンに満たない船です。中国人の船員さんが降りて来て英語と中国語のカード、翻訳機でプレゼントの受け渡しも出来ました。重機が動いていて慌ただしい中での交流でした。すぐ隣の船に行くと英語と片言の日本語が分かる中国人の船員、ただ、仕入れ品(お酒?)の搬入の最中だったので、会話も成り立たず断念しました。5隻も停泊中なのに、こんな日もあります。海底トンネルを経て、東扇島埠頭、ここでは日本郵船の自動車運搬船RHEA LEADER ギリシャ神話の大地の女神の名前を持つこの船は日本船籍、そのためか日本郵船関連の新入社員(?)がいくつかのグループに分かれて見学会。自動車搬送の荷役ではメインのゲートからは2列、横からも1列でスバルの新車を搬入、かなりのスピードで入ってきます。食堂や船室階の5階のデッキでも丁度、搬入中、
青と赤のライトが進入、停車の指示を与え、新車の臭いが充満しています。食堂では、ダイヤモンド商会の方が販売中。船員さん達は昼食前だったのか、すぐにも横須賀へ向け
て出港しなければならないのか行ったり来たりで、ダイヤモンド商
会の営業は、昼飯がゆっくりとれるようになってからだとか。私たちも、若い女性が交じる見学者たちが退
去するにあわせて、食堂スタッフに付き添われてエレベーターまで。あとは、自分達で操作して戻りました。明日、金曜日が終わると十連休です。そのために、荷役作業が超過密状態で進行していたのかもしれません。12時に前だったのにやっと大型車をぬって入った海員生協でも、大柄な作業員さんと食堂のスタッフが、「次にくるのは、長い連休後ね」と言ったやりとりを交わしていました(因みにその作業員さんは女性の方、大型車の高いシートからも女性の運転手さんが見下ろしてくるのも珍しい光景ではなくなりました。あとは、問題は女性議員が増えないことか!!!)。
3.2019年4月27日の訪船報告
朝8時過ぎ、大岡川の旭橋にくると、赤い誘導棒を持った若い男女が車道を歩いて下さいとの指示。何事かと思うと歩道では人だかり、大岡川にかかるいくつもの鯉のぼりを見ながら幼児と年配の女性がロケでの撮影中(残念ながら女優も誰だか分かりませんでした)でした。
AOSの車を出し、また、ちらりと旭橋でロケをみて、貝塚教会へ。木曜日に残ったボディローションとかの小物を、横浜港と川崎港とにわけ、出発しました。高速道路はかなりすいています。大桟橋の横浜税関に来ると駐車場は人だかり、クルーズ船のクルーが横浜で降り、帰国の途につくための通関手続き(?)。10連休は日本人客をターゲットにした企画なので、船客対応のクルーは日本人(?)、それでのクルー交代のようです。ともかく、車が止められないので、一人を車の運転席に残して、手続をしようとしましたが、事務所はほとんどの係官がクルーの
手続に出ています。残っていた一人の係官をつかまえてやっと終わりました。やはり、大黒埠頭自動車運搬船が何隻も停泊しています。
ところで、この日は、なんと横浜港にクルーズ船が4隻、大桟橋は英国船籍(長崎で建造中に火災が発生した)DIAMOND PRINCESS(11万5千トン) 山下にはバハマ船籍のNORWEGIAN JEWEL(9万3千トン)、そして、私たちが向かう大黒にはなんど14万トンに近いパナマ船籍のMSC SPLENDIDAとそれにくらべると子どものように見えるマルタ船籍の3万トンのAZAMARA QUESTです。全てが日本周遊そして沖縄、韓国、台湾をまわるクルージングです(TVのニュースで放映されていました)。
私たちは山下埠頭のNORWEGIANを左に見て、下道で大黒埠頭へ、ベイブリッジを降りる前からSPLENDIDAの偉容が見えます。乗客を運ぶ観光バスも列をなしています。男ばかりの今回の訪船メンバーはそんな観光気分には無縁で豪華客船とは反対側のCバースへ、SPICA LEADER、
星シリーズの日本郵船の自動車運搬船です。シンガポール船籍でインド人船員さんが食堂に案内してくれました。船長さんはパキスタン人、ウクライナの人も働いているとのこと。午後一番で名古屋へ向かうとのこと、船内はトラックがなん台か積まれているだけでした。食堂ではコーヒーをご馳走になって、しばし交流。しかし、男性メンバーだけだったので、乗組員との会話のながれでの”つかみ”が今ひとつ足らなかった・・・スマートフォンを販売していた年配の男性にも声をかけ損なってしまいました。帰りは、食堂のスタッフしかいなくて、エレベーターところまで案内してくれただけ。私たちだけで降りて、チェックポイントの船員に挨拶して戻りました。広い大黒のCバースは薄着では震える寒さになっていました。
乗船客を迎えに列をなす観光バスをよけて、川崎市営東扇島埠頭に向かう高速に乗るときには、SPLENDIDAの手前に停泊している可愛らしい3万トンのAZAMARA QUESTがはっきり見えました。最初は、市営千鳥町埠頭、ささやかなプレゼントも基本的には川崎港重視(税関では、それぞれ分けて申告する必要があります)。木曜日には、ひっきりなし
動いていた大型トレーラーも止まったまま。木曜日には危なくて声をかけられなかったパナマ船籍の6千トンにちかいJC FUTUREの周囲も深閑としています。デッキの高いところに一人の船員さんの姿が。車から降りた私たちをいぶかしそうに見ています。大きな声で、チン ライ と叫んで降りて来てもらいます。携帯翻訳機がなかったのでカードと英語で会話が成立、全員、中国人でやはり山東省の出身、仁川にこれから向かうそうです。そんなたどたどしいや
りとりがすすむうちに最初はこわばっていた船員さんの顔にも笑顔が。私たちが嬉しい瞬間です。末吉町教会にほ基本的に2時頃までに戻らなくてはならないので、今回は2隻の訪船でした。海員生協の食堂も、木曜日の喧噪がうそのように静まりかえっていました(メニューのカツ丼やラーメンもなし・・)。
Happy Easter.
Mosel ACE という車運搬船にお昼ごろ訪問しまいた。着岸時間が午前だったので、眠そうな顔で船員さんが迎えてくれました。昼をたべた船員の中にセンター行きたい組と、5時ごろ外に行ける組を調整して、まず4人のフィリピン人の船員とSTELLA MARISセンターにいきました。到着した時間は末吉町教会のミサがおわって、復活祭のパティ―も終わりころでした。教会の方が残りの食べ物を飲みものを船員さんたちのために分けってくださいました。船員さんたちはミサは参加できなかったが、お御堂で祈りをした後は、フィリピン人のディーニョ神父さんと話したり、祝福をお願いしました。祝福をもらってから、船員さんはうれしい顔をしていました。その後、買い物に出かけました。4時半に迎えにまた行きました。インド人の船長を含むオフィサーが3人センターに来ました。センターについて、残りのパンと飲みものでイスターパティをちょっと味わい、外の買い物を行きました。写真はフィリピン人の船員たちです
3月28日は、天気予報では晴れマーク、気温も上昇との事でした。しかし、大岡川をわたる風も冷たく、30日・31日の桜祭りでの満開の景観も難しそう。AOSの車両、日産キャラバンには、先週の土曜日の資材が積み込まれたままなので、直ちに下道で貝塚教会まで向かいました。積み込まれてあったカレンダーや石鹸、歯ブラシなどの個数を確認。中原教会からは、船員さん用にバザーで購入された和風趣味の大きめのTシャツ、タオル、ハンカチを持ってきていただきました。書類の書き込みもスムーズで、到着した横浜税関川崎支署で在港船のチェック。東洋信号通信社のポートビューでは4隻ほどでしたが、6隻、しかし、2隻はまだ接岸できていないとわかり、
少々がっかり。先週の土曜日(3月23日)の大黒埠頭ではまわりきれないほど船が在港していたのとはやはり事情が違います。
川崎市営千鳥町埠頭の最初の船は、5千トンをこえるベトナム船籍のばら積み船DONG PHONG。くず鉄の積み込みにともなって粉じんが舞っています。19人の船員さんはみなベトナム人、船室の食堂に案内していただきカレンダー19本と和風趣味お土産品(?)を渡しました(写真参照)。和風の品は、それぞれ一つなので、ジャンケンなどで配られたらいいと伝えましたが。明日には出港して、ベトナムのサイゴンに近い港(PHU MY)に向かいます。
次は、やはり6千トンを越えるパナマ国籍のSUBARU 7、16人乗り組みです。ミャンマー、インドネシアなどの船員さんが乗り込んでいます。この船も積み込みの真っ最中、韓国へむけて同じく明日中に出港です。岸壁に降りて来てもらった無線機片手の船員さんにカレンダー16本、歯ブラシ19本を渡すことが出来ました。次の8千トンを越える同じくベトナム船籍のばら積み船、SEA DREAMは残念ながら、荷役作業が忙しく、降りて来てもらうことが出来ませんでした。
川崎市営東扇島では昨年の4月に訪船したWOOYANG VICTORY、パナマ船籍5千トンに近い船、重量物運搬船、残っていたカレンダー6本と石鹸14個を渡すことが出来ました。今回の訪船で、カレンダーはほぼすべて配りきりました。
なお、川崎港訪船チームでは3月は2回の訪船で延べ10名が参加、6隻を訪問、毛糸の帽子は34ヶ、カレンダー118本、石鹸44個、歯ブラシ19本、そして、写真にあるTシャツ、タオル、ハンカチを配りました。
川崎港訪船チームは天候悪化のため、2回の訪船をキャンセル、1ヶ月ぶりの訪船活動です。
3月23日の天気予報では曇りのはずが、当日は雨模様。しかも、昨日の陽気とはうってかわって寒さがこたえます。午前8時過ぎには大岡川に早々と桜まつりにそなえて並んだ屋台を見ながらAOSの事務所へ。車をだして貝塚教会へ向かいました。9時15分まえには到着、書類の準備、毛糸の帽子は34個、石鹸84個、カレンダー118本、歯ブラシ20ヶを積み込みました。
大桟橋の税関では、持ち込んだ毛糸の帽子などを見た若い係官が「なんのプレゼントですか」との趣旨の質問。私たちは、苦笑しながら、「クリスマスや旧正月の時期に船員さん達へのプレゼントだったのですが、配りきれなくて」と答えました。大量のカレンダーも、「はやく配りたいので」と伝えました。隣にいたやや年配の係官はAOSの事を知っているようでした。貝塚教会では、横浜税関と横浜税関川崎支署用の二通りの書類を準備しましたが、大黒埠頭には8隻も停泊中、そして、少なくとも4隻は大きな自動車運搬船です。時間の関係で、川崎港は28日に訪船するので、今日は横浜の大黒埠頭だけにしました。
ベイブリッジを渡り、最初は、PERSEUS LIBERTY、パナマ船籍の自動車運搬船です。ゲートはAOSの車はお馴染みなのかすべてフリーパス。船員さんは26名、17名がインド人。船長室まで案内していただき、白い髭も素敵にみえるインド人の船長さん(オレンジのつなぎにリーボックの野球帽姿)みずから時間を割いて応対してくれました。船はトラックに牽引された冷凍コンテナ(写真参照)を積載する特別仕様との事でした。
11時すこし過ぎたばかりなのに、カレーを食べていったらどうかと。しかし、最初の船だったので丁寧にお断りして、コーヒーとクッキーをご馳走になりました。丁度その時、若い独身のウクライナ人の船員さんがここで船を降りるということで現れました。すぐに、毛糸の帽子とカレンダーを持って行くように奨めました。選んだのは、髪の毛に会う茶系の帽子と卓上カレンダーでした。成田に一泊、イスタンブールを経由して故国へもどると言うことです。彼の無事な家族のもとへの帰国と、航海の安全を願いました。帰りの船のエレベーターの中では案内の船員さんと有名な「バーフバリ 伝説の誕生・王の凱旋」の映画の話で盛り上がりました。
次は、すぐ隣に見えたMERLIN ARROW、ノルウェー船籍、船の上に重量物を積み込めるように大きなクレーン(写真参照)がついた船です。28名の船員さんのうちフィリピン人が17名残った毛糸の帽子、石鹸、カレンダーなどを手渡しました。(雨模様で、長いタラップが滑りがち、報告者の私は高所恐怖症なので残念ながら8割くらい登ったところで引き返しました。写真でみるとそれほど傾斜がきつかったようではなかったのですが、そのため階段がななめだったので恐怖感が増しましたようです。
その次は大黒埠頭T3、海釣り公園の方へ大きく廻って向かいました。自動車運搬船が3隻も並んでいます。一番手前のパナマ船籍のTRANS FUTURE 10への訪船です。23名の船員さんはフィリピン人。食堂に案内していただくと、船長さんが現れて、歓待してくれました。バナナケーキから4種のジュース、バーベキュー、そしてライスをそえたイカと野菜の炒めもの、豪華な昼食(同じく、写真参照)をベイブリッジを船窓越しに眺めて、タガログ語で食前の祈り(タガログ語が出来ない人はぞれ得意な言語で)を唱えていただきました。一緒に訪船していただいた神父様は、船長さんからの依頼に応えて司牧のつとめを果たされました。船はすべての荷役を終え、出航準備完了です。自動車運搬ゲートは完全に閉鎖、横の小さなタラップから降りました。
今日は、税関では8隻の訪船を申告したのですが、車をもどす関係もあり、今回は以上3隻で訪船活動を終えました。カレンダーは80近く配り終えました。
1.2月の訪船報告のまとめは次の通りです:訪船回数:2回・訪船者延べ数:10名・訪船数:9隻・毛糸の帽子配布数:121個
2.2月21日訪船報告補遺:フライングエンジェルについて
聖公会(イングランド国教会)の船員司牧はMTS(The Mission to Seafarers:以前はThe Mission to Seamens)と呼ばれ、これはカトリックのAOSに相当します。そのMTSのロゴでもあり、AOSのStella Maris(海の星)に当たるのがフライングエンジェルです。MTSは1858年に設立され、本部はロンドン、現在は200以上の港で活動し、120の港でセンターがあり、そのセンターはフライングエンジェルセンター(Flying Angel Centres)とも呼ばれています。日本では苫小牧・横浜・神戸にセンターがあります。苫小牧ではAOSと一緒に活動しています。横浜では現在、横浜山手聖公会がセンターになっています。以前は中区役所近くにセンターがありAOSもそのセンターを利用して活動していました。2018年7月16日から17日までAOSの全国研修会が神戸で行われた際には、神戸のフライングエンジェルセンターの司祭(ポール・トルハース師)が活動紹介をしました。
2月21日、末吉町教会の事務所に8時過ぎにAOSの車を取り出かけ、途中で給油し、9時15分には貝塚教会に到着しました。
前回の訪船のあとに数を数えておいた毛糸の帽子、それに鹿島田教会から頂いたカレンダーなどなど仕訳をはじめ、毛糸帽子、歯ブラシ、カレンダー、石鹸それぞれ80個、タオル12本、残っていたパッキング済みのプレゼントセット7個を積み込み出発しました。東洋信号通信社のポートビューでは自動車運搬船はなく、4隻しか停泊中でなかったのですが、沖待ちの船が接岸するのを期待してかなり沢山積み込みました。
横浜税関川崎支署では5隻(沖待ちの船一隻が接岸)が確認出来ましたが、自動車運搬船はありません。
川崎市営千鳥町埠頭の最初の船はREN HE 旧英領ホンジェラス(ブリーズ)船籍、1500トンに満たない小さな船でしたが、ミャンマー人の船員さんもいて英語、中国語のカード、そして今回、岩間神父様が持ってきた小さな自動翻訳機(72国語対応)のおかげもあって、10人の船員さんにそれぞれ持参した品を配ることが出来ました。中国人の船員の英語上手な上級船員さんが船内の食堂まで案内してくれました。丁度、出入り口にあたる小さな厨房にいた船員さんは、どやどや入っていった私たちを見て驚いた顔をしていましたが、中国語で挨拶してプレゼントだと言うと嬉しそうな顔をしていました。家庭の厨房より狭いところで丁度、炒め物最中、とてもいい香りがしました。船長さんのサインもいただき、航海の無事を祈りました。次はHAO JIN2(ニュージーランドと自由連合の関係にあ
る二ウエ船籍) 今年の1月にも訪船した船です。香港、海南島を回り再び日本へ、宇部を経て川崎に戻ってきました。応対してくれた中国人の船員さんは多分、1月のはじめにはいなかったようです。今回も13個のそれぞれの品を手渡しました。これから、また、南へベトナムのSON DUONGへ、海南島に近いところです。川崎市営千鳥町埠頭の最後はYORK 27(旧英領ホンジェラス船籍)、初めての船のようです。8千600トンの大きな船です。降りて来たミャンマー人(?)の船員さんはロンドンで同じようなプレゼントをもらったとの事、フライングエンジェル(The Mission to Seafarers)を知っているようでした(因みにこのサイトではやはり毛糸の帽子のプレゼントが人気だとあります)。船長さんは中国人、配り忘れたカレンダーを渡すために呼び止めると、もう、すでに毛糸の帽子をかぶっていました。17個のプレゼントを渡しました。
川崎市営東扇島埠頭ではパナマ船籍のWOOYANG VICTORY 昨年の1月にプレゼントを渡した船です。船員さん達はやはり9ヶ月の雇用のようです。インドネシア人など多国籍の船員さん達が14個のプレゼントを喜んで受け取ってくれました。
今回、プレゼントの受け渡しに始めて参加した訪船ボランティアの人の感想は、船員さん達が素朴に喜んでくれて心が温まったとの事でした。
グレゴリオ暦2月7日、正月3日、初春の相応しい穏やかな日和の中の訪船です。貝塚教会では本日の訪船者5名がプレゼントの袋詰め、川崎港チームでは、毛糸の帽子、石鹸、歯ブラシ、タオル、カレンダーをバラで個数だけ数えて運ぶことにしました。80個の用意です(ただし、タオルだけは72本でしたが)。レンタカーだったので十分積み込むことが出来ました。東洋信号通信社のポートビューではかなりの船が川崎市営千鳥町埠頭に荷役作業中なのでこれだけのプレゼントを用意しました。
横浜税関川崎支署で申告、税関に近い、1号埠頭からの訪船です。最初はXIN YANG 旧英領ホンジェラス船籍です。呼びかけに応えて降りて来てくれた船員の頭にはなんと私たちが送った毛糸の帽子が。でも、この船には昨年の暮れから、いままで訪船していません。最初、船員さんはすでにもらったからとプレゼントを断るジェスチャー、最近は渡していないので、多分、他の船員さん達は持ってないかもしれないので、手渡すことにしました。石鹸などは本当に喜んでくれました。次は、GUO HONG シエラレオネ船籍です。中国人の船員を大きな声で呼び出し(にーめん・はおま?)、姿を現したところで(ちん・らい)。中国語のカードで船員さんの数を聞くと、中国人の船員が何名かと聞かれたのか思ったらしく、9名。9名分のプレゼントを個数分用意し持っていくと、中国人らしからぬ船員さんも。英語で話すと、ミャンマーの人、ミャンマー人船員さんは3名と言うことで12個それぞれ渡すことが出来ました。車に行ったり、来たりでしたが、Happy New Yearで別れました。次はSUBARU 7、パナマ船籍の6セントを超える船です。今日中に韓国へ向けて出航予定、呼びかけで出て来てもらい慌ただしい中、16個づつ渡すことが出来ました。最初、受け取った船員さんは全部が自分自身に勘違いしたのか(?これも私たちの推測かも)、こんなにというような表情、船員全員分だと強調して手をふって別れました。川崎市営千鳥町埠頭最後はUNION GLORY トーゴ船籍で8千トン大型船です。中国人の船員さんで、今回ははっきり、中国語でも船員さんの数を再確認、私の5の発音が悪く直されましたが、確認もでき15のプレゼントそれぞれ渡すことが出来、Happy New Year。
川崎市営東扇島埠頭では韓国船籍のLEPUS、韓国人船員が多い船かとおもい、呼びかけも(アンニョン?)、しかし、姿が見えた船員は中国人の船員さん、多国籍の船員さんの多い船だったので、プレゼントの受け渡しもスムーズでした。レンタカーの都合もあり慌ただしい訪船にでしたが、67個づつ、それぞれ渡すことが出来ました。
東扇島埠頭の海員生協の食堂は、平日の12時少し過ぎてしまったので、駐車まち。定食のメニューは私たちが食べ終わる頃は完売でした。
訪船活動を実施したのは1月10日(木)、12日(土)、17日(木)、24日(木)の4回です。木曜日が3回となったのは、昨年の6月半ばから横浜税関川崎支署が土、日閉庁となり、これらの日に川崎港を訪問する場合でも横浜大桟橋の税関に立ち寄り、外国船との訪船(交通)許可を申請する必要が生じたためです。そこで、土曜日に訪船する場合は時間が許せば、大桟橋から川崎港の途中に寄ることの出来る大黒埠頭にも立ち寄ることにしました。
参加者は5名、延べ人数は12名、訪船した船舶は21隻、326個プレゼントを渡すことが出来ました。なお、プレゼントにはセットではなく、手編みの毛糸の帽子だけのものもあります。
訪船した21隻の船舶のうち16隻は循環資源(くず鉄を主に韓国ないし中国へ運ぶ)をトレーラーから積み込む船でした。これらの船は中国人の船員さんが多いのですが、ミャンマー人とかベトナム人の船員さんが乗船していなくて中国人の船員のみの場合はプレゼントを手渡すタイミングが難しいことがあります。もちろん、英語を話す船員さんも少なくないのですが、埠頭の岸壁から呼びかけた場合、英語を分かる人が出てこない場合もあるからです。中国語で叫んだり、プレゼントを見せたりするのですが、無償のプレゼントだと理解してもらうのが大変な場合もあります。どうにか受け取ってもらい航海の安全を祈るという中国語のカードを見せてお互い笑顔になると船に案内してもらう事もあります。大変な環境のなかで航海をしていることがよくわかります。
あとの5隻は圧倒的フィリピン人の船員が多い自動車運搬船です。ほとんどの場合、船内の食堂で交流してプレゼントを渡すことが出来ました。