7月8月の川崎港訪船チーム活動報告

7月と8月の川崎港訪船チーム活動は7月15日の海の日の記念日のイベントを除くと2回のみでした。メンバーの高齢化もあり、夏の猛暑を避けた結果となりました(船員さん達や荷役作業の方は猛暑にもかかわらずお仕事を続けていたのですが・・)。

7月4日、9時半に貝塚教会に集合した時は雨脚が強く、心配しましたが、海の日の打ち合わせをしたあとの10時半近くには雨も小降りに。参加者は3名。東扇島埠頭は船舶なし、税関で申告は千鳥町埠頭の5隻、ところが1隻は接岸中。最初は、XIN ZHONG RUI 15 旧英領ホンジェラス(ブリーズ)の船籍の8千トンをこえる大きな船、本日中に出航のため、忙しい荷役中。声をかけるとベトナム人の船員さんが降りて来ていただき、英語での交流。国際運輸労連の機関紙雑誌と折り鶴を渡すことが出来ました。次はCHANCE STAR パナマ船籍、7千トンに近い船、中国語のカードが見当たらず、ポケトークともう一台の最新の翻訳機だけでした(ITF)ので、呼びかけは、いつもの通り、大きな声でチンライ。降りて来た船員さんにポケトークの音量を最大にして耳に近づけても、荷役のクレーンの音がうるさく、なかなか通じません。なんとか会話が成立、ITFの機関紙と折り鶴は喜んでもらえました。次は、XIN YANG、同じくブリーズ船籍、2千トンに満たない小さな船、積荷は満杯のよう。今日の出港、中国人の船員さんはやはり物売りか(それとも宗教の勧誘か)と思ったらしく、はじめからノーニードと言ってきましたが、ITFの機関紙と折り鶴を渡すと喜んでくれました。小雨とは言え、天候が悪化しているので船員さん達は忙しそうでした。積荷の集積場は鉄くずの山、山・・でした。

8月24日はAOSの車をとりに末吉町教会へ。日ノ出町では町内会の夏祭りの最中で、町内会館は御酒署になっていて、駅前の通りを山車が巡行していました。9時半前には、貝塚教会へ。参加者は4名、タガログ語のネイティブの方が参加され心強い限りでした。東洋信号通信社のポートビューでは7隻の船が市営千鳥町埠頭と東扇島埠頭に接岸中です。高速道路で大桟橋の税関まで、そこで手続を始めます。東洋信号通信社のポートビューをプリントアウトしたものを係官に見せ、確認します。担当はは高校卒業したばかりに見える(多分、そう見えただけでしょう)の若い係官、先輩の担当者に確認しながら、丁寧にPCを見つめて許可の印鑑を押してくれました。参加者の一人が提示した交通許可のカードもはじめてのようでしっかり確認していました。

 川崎市営千鳥町埠頭のゲートは、今日はフリーパス。書類の記載もカードの交付もありません???運転席からガードマンに手をふり、一時停止もせず、最初の6番へ。HAO HENG 11、パナマ船籍のばら積み船。若い船員さんが降りて来たの中国語のカードを見せると早めくりで確認、船に乗船していいというジェスチャー。ところが、それが大変60度くらい(写真でみると60度は大げさでしたが)に傾斜しているタラップを登ります。車のキーを落とさないかとひやひやでした。彼は、実は英語も堪能で、船室で交流した船員さん達も英語が上手でした。ベトナム人の船員さん達と一緒だったの、英語は必須だったのでしょう。出港は28日なので船長は外出中とか。自分たちも町で出て行くとか。iPhoneもこちらが見せると見せてくれましたが、Wi-Fi接続は出来ないような。船から下り時もたいへんでしたが・・・
次はZHOU SHUN 、同じく5千トンクラスのばら積み船。シエラレオネの船籍です。降りて来た船員さん達と立ち話です。ベトナムに向かうそうです。次の予定していた船は荷役の真っ最中、タラップ近くもクレーンが動いているので断念して、DE RUN、ブリーズ(旧英領ホンジェラス)船籍の千五百トンに満たない小さな船です。船の上から、関心なさそうにしていましたが、大きな中国語で呼びかえ、降りて来てもらって、どうにか会話が進みました。ミャンマーの人も乗っている船です。降りて来た船員さんはバットマンのTシャツでした。
 東扇島埠頭に向かって、自動車運搬船の停泊している7番ゲートに到着、ここでもフリーパス。手続がかわったのか?警備員さんとは顔なじみですが、いつも冗談をいいながらカードを交付してもらっていたのですが。
 HOEGH BRASILIA、パナマ船籍、5万トンの船です。建造は常石造船のセブとか。現在は、ノルウェーの会社が運航を担当しています。一等航海士もゲートにいて、はじめから会話が進みます。ゲートのテーブルの古いAOSJAPANのシールをAOS YOKOHAMAのシールに張り替えました。それから、出航間際でしたが、初めての航海の若いフィリピン人の船員さんが食堂へ案内してくれました。食堂では、食事中のやや年配のビサヤ語の船員さんがいろいろ話をしてくれました。以前はWI-FIが無料だったのに、今は、有料とか・・それに、若い船員さんや厨房のコックさん達も加わって盛り上がりました。ビスケットも二種類、パイナップルジュース、オレンジジュース、ブドウジュースまで、テーブルに並びました。中古車や新車を積み込んで神戸に向かうそうです。そこでは、6名が下船するので、空港を調べましたが、神戸空港はドメスティックのようで、関空までいくしかなさそうでした。丁度、馴染みのダイヤモンド商会の方も来ていました。甲板にはバスケットコートがあり、運動不足の解消に役立っているようです。
 降りてくると出港準備中でした。
久しぶり海員生協で昼食をとって貝塚教会にもどると12半でした。
以下は8月24日の訪船写真
  

 

 

 

 

 

 

 

以下の写真は7月4日の訪船の時のものです。

2019年海の日の研修会

2019年7月15日、AOS横浜の海の日研修会が行われました。参加者は横浜・川崎を中心に静岡の焼津から東京の田園調布まで71名。連日降り続いた雨も港に着く頃にはすっかり上がり、絶好の研修会日和となりました。

横浜港をクルーズした参加者からは、小麦の陸揚げ施設やバナナの貯蔵倉庫を海から眺め、改めて私たちの生活が海から運ばれる物資に支えられていることを実感したとの声が聞かれました。

一方、訪船チームは小グループに分かれ、自動車運搬船や、ばら積み船に乗り込み、船員さんと交流しました。

AOSセンターのある末吉町教会に戻った後は、昼食・活動紹介・分かち合い・ミサと1日がかりの研修会でしたが、多くの人に船員さんの存在を実感してもらうことができました。派遣の歌「大波のように」を歌いながら、参加者全員が小さな灯火を胸に各小教区へと派遣されていきました。

参加者の声です。

サンタ・バルカ号に乗船し、濱田壮久神父(AOS横浜担当司祭)とともに横浜港を航行するコースでは、旅客船ターミナルである大さん橋、大黒ふ頭(主に自動車運搬船)、本牧ふ頭(主に大型コンテナ船)などを視察した。

接岸中は時間に応じ岸壁利用料が発生する。よって船員は来航しても上陸時間が著しく制限される。荷捌きを速やかに終え再び出港する。船員はまた何十日もの間、船舶に留まり続けることになるのだ。安価な海外製品や輸入品に依存した大量消費は、かれら船員ひとりひとりに支えられている。

分かち合いでは、航行中はミサも聖体拝領もない。代わりにわたしたちは、船員のために祈りを捧げるべきではないだろうか。

教会が長期間閉鎖的な空間にある船員に実施すべき物的・司牧的支援のあり方の変化への対応や、船員の労働生活環境を理解して、なすべきことを自ら考えることが、船員奉仕活動を始める上での出発点ではないだろうかなどと話し合われた。

AOS横浜 信徒代表 服部京子

日曜日の日常生活

Trans Harmony 1は 結構新しい船で、船内は綺麗で、船員のためのジムも完備されています。貨物の積み下ろし作業がない、日曜日も船員さんは船の外側のペンキー塗りをします。 午前の仕事を終え、若い3人組がヨコハマの見物に行きたいと買い物を行くオフィサーたちとは別行動をとりました。行く方向が違うので、オフィサーたちはタクシー、若い人たちはステラマリスのバンを利用しました。若い3人組はバンの中で楽しくしゃべっていました。4時間ですが、初めての横浜市内での上陸時間を彼らは楽しく過ごしました。

2019年6月前半の川崎港訪船チーム活動報告

6月6日の訪船活動報告
夏日の中、4名のメンバーで予定通り訪船活動を実施しました。車には、国際運輸労連、ステラマリスの機関紙、折り鶴、そしてカトリック信者用の小物など積み込みました。東洋信号通信社のポートビューでは4隻、税関で確認すると5隻が入港しています。
川崎市営千鳥町埠頭ではこの埠頭にしては大型の船舶です。埠頭から振り返ると円高基調のためかくず鉄は山のように積載を待っています。

最初はUNION GLORY、トーゴの船籍の8千トンをこえるばら積み船です。人影は見えず、何回か大声で叫ぶと船員さんが現れました。インド人の若い船員さ

んと年輩の中国人の船員さんです。何事かというような顔です。国際運輸労連の機関紙は受け取ってくれたのですが、折り鶴には手を合わせて頭を下げるだけです。いらないと言うサインかと思いましたが、手渡すと本当に嬉しそうに受け取ってくれました。乗組員は15名、パキスタン人1名、インド人1名、あとは中国人の船員です。これから、韓国の仁川に向かうそうです。今回は中国語のカードをなんと持ってこなかったので、ポケトークの中国語と英語で航海の無事を祈りました。

次の船はタラップが丁度、荷役作業のすぐ横なので、断念。HUA YUN 8、9千トンのパナマ船籍の船です。中国人の若い船員さんが降りて来て、なんとか会話が成り立ちました。次の寄港地をたずねると、ユエナンと聞こえます。ヴェトナムかと聞き返すと、iPhoneを取りだし、やっとヴェトナムと分かりました。中国語では越南の越はユエと言うように聞こえました。また、キドかと聞いてきました。多分、キリスト教かと聞いてきたようですが、それには応対できず・・埠頭を離れるとき、船に戻った船員さんと他の船員さん達が手を振ってくれました。

川崎市営東扇島埠頭では、シンガポール船籍のHOEGH OSAKA,自動車運搬船、接岸したばかりです。ゲートのチェックポイントに行くと全員、フィリピン人の船員さんだと言うことです。ステラマリス横浜のシールが貼ってあります。国際運輸労連、ステラマリスの機関紙、それにメダイユを聖別して人数分、手渡しました。まだ、税関の係官が検査中で、船には入れないとの事でした。

 

6月8日の訪船活動報告

梅雨入り後の土曜日でしたが、全然、降られることなく訪船できました。集合時間の前に神父さまがタイムズレンタカーを準備。出発のちょっと前に参加メンバーの一人が車で到着。間一髪でした。
税関では、いつもの通りの質問?
「物を置いてきたり、受け取ったりしますか?」AOSの3つ折りチラシを見せて、「クリスマス以外は物は持っていきません」と返答。
税関で以前教えてもらったFIND SHIPで川崎港の4隻を調べて書き込みました。
川崎市営千鳥町は、前回の報告にあったように鉄くずの山が崩れそうでした。
停泊している2隻は、木曜日に訪船したとのこと。
鉄くずの積み込み作業をしているTIANG PENGへ乗り込みました。2008年造船のベリーズ船籍、2,956トンの船。
若くて陽気な中国人の船長さんが、Tシャツにロング・ネックレスのいで立ちで、出てきてくれました。15人全員が中国人で水曜日に韓国の港(どこになるか未定)へ出航する。
明日は自転車でダウンタウンに行く予定、と笑顔で話してくれました。わたしたちも航海の安全を祈っていると、伝えて別れました。
東扇島を目指しましたが、トラックも乗用車もゼロ!?
ZENITH BUSANは大韓民国の船で4,713トン、2009年造船。日本語の上手な韓国の船員さんと、ヤンゴン出身のミャンマーの船員さんと話しました。
鉄板のコイルを火曜日に出航して韓国へ運ぶそうです。
以上、本日は2隻、訪船できました。

6月14日の訪船活動報告

梅雨の晴れ間の14日の木曜日に訪船しました。参加者は3名、折鶴を50個くらい紙袋にいれて予定通り9時半頃に貝塚教会を出発しました。

いつものように川崎市営千鳥町埠頭へ行きました。何隻か停泊していたのですが、荷積みをしていたり大型トラックの出入りがあったので立ち寄らないようにしました。それでも2隻の船の船員の方たちと話しができました。最初の船、RUI HAI 1は15名全員が中国の方でした。お話しに降りてくださった船員さんは私達と話しをするのがとても楽しそうでした。中国語で書かれたAOSのパンフを手に取り、✟をきって「ですよね。」と笑顔で尋ねてきました。私達が帰るときもいつまでも船の上から見送ってくれました。2隻目は、忙しい様子でしたのでそのまま帰りました。

 

東扇島では車の運搬船を訪ねました。全25名の船員の内訳は23名がフィリピン人であと2名は日本人だということでした。スバルの車が勢いよく積荷されていきました。今朝着岸して夕方5時には出発という状況の中にあってもにこやかに迎えてくれました。忙しかったので入口の受付のところでフィリピンの船員さんたちと話しをして折鶴とオメダイを神父さまが祝福して渡しました。

 

帰りの車の中で入道雲のような雲を見ました。「あれは入道雲?」という問いかけに「入道雲は海側にでるからあれはきっと雨雲ですよ。」ということ。なるほど~ひとつ勉強になりました。早く帰宅しなければ雨が降り出すかもしれないと貝塚教会へ急いで帰りました。

 

 

 

 

 

JABBAHの祝福

5月24日JABBAHの祝福とみさがありました。中古のタグボートですが、言われたにとわからないくらい良い状態でした。今回はオーナーの奥さんも来日して、一緒に参加しました。

2019年5月川崎港訪船チーム活動報告

今月5月の川崎港訪船チーム活動報告は5月23日木曜日の一件です。
汗ばむ陽気の中、カトリック横浜教区神奈川第1地区の5教会のメンバーがひとりづつ参加しての訪船活動となりました。川崎市営千鳥町埠頭では事前の東洋信号通信社のポートビューどおり2隻停泊中です。メインゲートでは見習いの警備員のようです。税関の書類をみせ書類に記入。いつもは入港タグをもらうのですが、見習いさんを指導していた警備員はタグをつけなくてもいいと指示(もしかしたら、税関の「交通許可」があれば必要ないのかもしれません)。
ゲートに近い船には大型トレーラー5,6台連なって、その車列を回り込んでタラップに近づくのは不可能です。税関で記入したNEW SILKROAD 2はパスしました。次のベトナム船籍の5千トンにばら積み船のTRANSCO STAR に向かいました。ベトナム船籍のこの船には19名のベトナム人の乗り組んでいました。今回は、持参品がすくなく、9本の歯ブラシと6個の歯磨きチューブ、折り鶴は人数分です。2名のベトナム人は埠頭まで降りて来てくれて、船にあがれと言ってくれます。英語も堪能です。船の上でこれからの寄港先などたずね交流しました。川崎港からおなじみの韓国の唐津に27日にむかいます。

東扇島埠頭には2隻でしたが、煙突の二本線が目立つ日

本郵船の3万トンの船のパナマ船籍NORD TRUSTに訪船しました。日本郵船の船だったのた関係もあり、乗組員はすべてフィリピン人の船員さんです。甲板はかなり高く、ゆれるタラップでの乗船は階段の隙間から下がはっきり見え、高所恐怖症には無理かもしれません。タラップの横の柵をつかむと油で手が汚れることがあります(乗船する場合は軍手が必要)。

 

船員さん達から神父さんにミサが出来ないかという質問もありましたが、準備の都合、貝塚教会を紹介しました。しかし、翌日にはには名古屋に出発するので、貝塚教会の主日のミサに参加することは無理でした。名古屋のあとは大阪、新居浜をまわるそうです。船に備え付けの大きなクレーンが木材を搬入していました。案内された食堂ではコーヒーをご馳走になりました。昼食もどうかと勧められたのですが、船員さん達は誰一人も昼食時間間近でも食事をしていないので遠慮しました。貝塚に残っていた最後の持参品、歯ブラシ3本、歯磨きチューブ2個、トラベルセット1ヶ、折りたたみ傘1本を渡しました。折り鶴は人数分です。折り鶴はとても喜んでくれました。千羽鶴を知っているようで、糸でつるすのかと聞いてきます。膨らませ方をおしえて、一羽でもこんな風につるせばと見せてあげました。こんなに喜んでくれるのなら、これからも各教会で沢山折ってもらいます。
海員生協の食堂は、12時少し前だったのでかろうじて駐車でき、3品定食もあった昼食をいただきました。

クルーズ船でのミサ

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晴海ふ頭に停泊中のクルーズ船からミサの依頼があり、濱田神父とAOSスタッフ3名で訪船し、船上でミサをあげました。ミサの参加者は主に乗客でしたが、聖体拝領の際には乗組員も加わって、総勢50人位の参加がありました。朗読や共同祈願は乗客の協力も得、長い航海のひと時、ともに主の食卓を囲んだ貴重な時間でした。

2019年4月の川崎港訪船チーム活動報告

御復活おめでとうございます。復活祭第2の主日が終わると長い連休です。4月の川崎港訪船チーム活動報告は、3回分の掲載です。よろしくお願いいたします。
1.2019年4月11日の訪船報告
4月11日、天気予報通り晴天、気温は上昇。ただし、風が強く、港ではさらに強くなりそうな気配です。大岡川の桜は川下へ向かって左岸はまだまだ見られそうです。
AOSの車で、9時40分過ぎに貝塚教会へ。プレゼント用品は、主にカミソリ、歯ブラシ、歯間ブラシ、歯磨き粉、シャンプーなどバラバラでしたが、数を数えて積み込みました。
東洋信号通信社のポートビューでは4隻、日本郵船の自動車運搬船がいると思ったのですが、出航済み。横浜税関川崎支署でも、記載された一隻はまだ接岸していないということで3隻の名前を書いて川崎市営千鳥町埠頭に向かいました。
まず、驚いたのは今まで見たことのないようなくず鉄やままたやまです。都市鉱山大国の日本の資源の買い手が少ない・・中国経済の減速の影響でしょうか?
最初の船はMEGUMI、中国人の船員に声をかけると、船長を呼びに行きました。船長さんはシーメンズクラブを知っているが、別に話すことはないということ。次の船に向かいました。
旧英領ホンジェラス(ブリーズ)船籍のHONG YANG。くず鉄を積んだトレーラーが2台、荷揚げの最中。一台目は、鉄のつめのクレーンが鉄くずを積み込み、次に磁石のクレーンが残ったくず鉄を積み込みます。トレーラーの間を縫って船の側へ。中国人の船員さんと話が通じて、15人の船員さんにカレンダー、歯ブラシ、カミソリ、リンスを渡すことが出来ました。英語が少し通じたので、喜んで受け取ってくれました。AOSの車だったので、キリスト教関係だと分かっているようでした。


今日の最後は、市営東扇島埠頭のVIRGO韓国船籍、昨年の7月21日に訪船した船です。出迎えた韓国人の船員さんは覚えていてくれたようです。山東省出身の中国人の船員は英語も上手で、家族の事も話してくれました。インドネシア人には国際運輸労連(ITF)のインドネシア語版を渡しました。ミャンマー人の船員さん、そして13名中一人のフィリピン人の船員さんはセブ島の出身、話が弾みました。訪船スタッフの一人はネイティブのタガログ語の使い手でしたが、フィリピン人の船員さんはネイティブだと思わなくて・・(?)とりあえず、食堂まで案内していただき楽しい交流が出来ました。5カ国船員さんが乗り込んでいるだけに、グローバル化(?)が進んで、オープンな感じで私たちも心が暖かくなりました。船から降りる頃は日差しも強く、強い風も心が暖かくなったせいか心地よく感じられました。船が少なかったので、海員生協の駐車場には待たずに止めることができ、なじみの食堂の従業員に声をかけて楽しい昼食を頂きました。

 

2.2019年4月25日の訪船報告
川崎市営千鳥町埠頭では、かなりの数のトレーラーの往来、7号で荷役作業中の船には作業員もタラップの途中でクレーンを動きをはかっての乗船。そこで、最初の船は断念し、次のJIA YI6 8千トンに級、旧英領ホンジェラス(ブリーズ)船籍の船に向かいました。神父さんが呼びかけるとすぐに若いミャンマー人の船員さんが降りて来て、英語での会話が進みました。18名の乗組員のうち彼だけがミャンマー出身で、あとは中国人の船員さん。英語も他の船員さん達とはなかなか通じ合わないこともあるとか。職場の待遇面では、問題がないとの事ですが、10カ月間の契約を少し早めに切り上げようかとも・・(前に他の船で、やはり、中国人の船員の中で一人きりだったベトナム人船員が部屋の中まで案内してくれ歓待してくれたのを思い出しました)。岩間神父がどうにかポケット翻訳機を操作して、大きな声のミャンマー語が飛び出すと本当に嬉しそうな顔を見せてくれます。18箇のカミソリを手渡しました。そんな私たちの様子を上の方で見ていた船員のさんにチンライと大きな声で叫ぶと降りて来てくれました。ミャンマー人の船員さんと私たちが笑顔で話しているのを見て、彼も嬉しそうでした。国際運輸労連の昨年度版でしたが中国語版を手渡しました。次に停泊している船にも大きなトレーラーが行ったり来たり。船舷に車を寄せるのも難しい状況なので、これも見送り、次のGUO HONGはシエラレオネ船籍のばら積み船。2千トンに満たない船です。中国人の船員さんが降りて来て英語と中国語のカード、翻訳機でプレゼントの受け渡しも出来ました。重機が動いていて慌ただしい中での交流でした。すぐ隣の船に行くと英語と片言の日本語が分かる中国人の船員、ただ、仕入れ品(お酒?)の搬入の最中だったので、会話も成り立たず断念しました。5隻も停泊中なのに、こんな日もあります。海底トンネルを経て、東扇島埠頭、ここでは日本郵船の自動車運搬船RHEA LEADER ギリシャ神話の大地の女神の名前を持つこの船は日本船籍、そのためか日本郵船関連の新入社員(?)がいくつかのグループに分かれて見学会。自動車搬送の荷役ではメインのゲートからは2列、横からも1列でスバルの新車を搬入、かなりのスピードで入ってきます。食堂や船室階の5階のデッキでも丁度、搬入中、

青と赤のライトが進入、停車の指示を与え、新車の臭いが充満しています。食堂では、ダイヤモンド商会の方が販売中。船員さん達は昼食前だったのか、すぐにも横須賀へ向け

て出港しなければならないのか行ったり来たりで、ダイヤモンド商

会の営業は、昼飯がゆっくりとれるようになってからだとか。私たちも、若い女性が交じる見学者たちが退

 

 

去するにあわせて、食堂スタッフに付き添われてエレベーターまで。あとは、自分達で操作して戻りました。明日、金曜日が終わると十連休です。そのために、荷役作業が超過密状態で進行していたのかもしれません。12時に前だったのにやっと大型車をぬって入った海員生協でも、大柄な作業員さんと食堂のスタッフが、「次にくるのは、長い連休後ね」と言ったやりとりを交わしていました(因みにその作業員さんは女性の方、大型車の高いシートからも女性の運転手さんが見下ろしてくるのも珍しい光景ではなくなりました。あとは、問題は女性議員が増えないことか!!!)。

3.2019年4月27日の訪船報告
朝8時過ぎ、大岡川の旭橋にくると、赤い誘導棒を持った若い男女が車道を歩いて下さいとの指示。何事かと思うと歩道では人だかり、大岡川にかかるいくつもの鯉のぼりを見ながら幼児と年配の女性がロケでの撮影中(残念ながら女優も誰だか分かりませんでした)でした。
AOSの車を出し、また、ちらりと旭橋でロケをみて、貝塚教会へ。木曜日に残ったボディローションとかの小物を、横浜港と川崎港とにわけ、出発しました。高速道路はかなりすいています。大桟橋の横浜税関に来ると駐車場は人だかり、クルーズ船のクルーが横浜で降り、帰国の途につくための通関手続き(?)。10連休は日本人客をターゲットにした企画なので、船客対応のクルーは日本人(?)、それでのクルー交代のようです。ともかく、車が止められないので、一人を車の運転席に残して、手続をしようとしましたが、事務所はほとんどの係官がクルーの
手続に出ています。残っていた一人の係官をつかまえてやっと終わりました。やはり、大黒埠頭自動車運搬船が何隻も停泊しています。

ところで、この日は、なんと横浜港にクルーズ船が4隻、大桟橋は英国船籍(長崎で建造中に火災が発生した)DIAMOND PRINCESS(11万5千トン) 山下にはバハマ船籍のNORWEGIAN JEWEL(9万3千トン)、そして、私たちが向かう大黒にはなんど14万トンに近いパナマ船籍のMSC SPLENDIDAとそれにくらべると子どものように見えるマルタ船籍の3万トンのAZAMARA QUESTです。全てが日本周遊そして沖縄、韓国、台湾をまわるクルージングです(TVのニュースで放映されていました)。
私たちは山下埠頭のNORWEGIANを左に見て、下道で大黒埠頭へ、ベイブリッジを降りる前からSPLENDIDAの偉容が見えます。乗客を運ぶ観光バスも列をなしています。男ばかりの今回の訪船メンバーはそんな観光気分には無縁で豪華客船とは反対側のCバースへ、SPICA LEADER、

星シリーズの日本郵船の自動車運搬船です。シンガポール船籍でインド人船員さんが食堂に案内してくれました。船長さんはパキスタン人、ウクライナの人も働いているとのこと。午後一番で名古屋へ向かうとのこと、船内はトラックがなん台か積まれているだけでした。食堂ではコーヒーをご馳走になって、しばし交流。しかし、男性メンバーだけだったので、乗組員との会話のながれでの”つかみ”が今ひとつ足らなかった・・・スマートフォンを販売していた年配の男性にも声をかけ損なってしまいました。帰りは、食堂のスタッフしかいなくて、エレベーターところまで案内してくれただけ。私たちだけで降りて、チェックポイントの船員に挨拶して戻りました。広い大黒のCバースは薄着では震える寒さになっていました。
乗船客を迎えに列をなす観光バスをよけて、川崎市営東扇島埠頭に向かう高速に乗るときには、SPLENDIDAの手前に停泊している可愛らしい3万トンのAZAMARA QUESTがはっきり見えました。最初は、市営千鳥町埠頭、ささやかなプレゼントも基本的には川崎港重視(税関では、それぞれ分けて申告する必要があります)。木曜日には、ひっきりなし

動いていた大型トレーラーも止まったまま。木曜日には危なくて声をかけられなかったパナマ船籍の6千トンにちかいJC FUTUREの周囲も深閑としています。デッキの高いところに一人の船員さんの姿が。車から降りた私たちをいぶかしそうに見ています。大きな声で、チン ライ と叫んで降りて来てもらいます。携帯翻訳機がなかったのでカードと英語で会話が成立、全員、中国人でやはり山東省の出身、仁川にこれから向かうそうです。そんなたどたどしいや
りとりがすすむうちに最初はこわばっていた船員さんの顔にも笑顔が。私たちが嬉しい瞬間です。末吉町教会にほ基本的に2時頃までに戻らなくてはならないので、今回は2隻の訪船でした。海員生協の食堂も、木曜日の喧噪がうそのように静まりかえっていました(メニューのカツ丼やラーメンもなし・・)。

 

 

 

2019年4月21日復活際

Happy Easter.

 

Mosel ACE という車運搬船にお昼ごろ訪問しまいた。着岸時間が午前だったので、眠そうな顔で船員さんが迎えてくれました。昼をたべた船員の中にセンター行きたい組と、5時ごろ外に行ける組を調整して、まず4人のフィリピン人の船員とSTELLA MARISセンターにいきました。到着した時間は末吉町教会のミサがおわって、復活祭のパティ―も終わりころでした。教会の方が残りの食べ物を飲みものを船員さんたちのために分けってくださいました。船員さんたちはミサは参加できなかったが、お御堂で祈りをした後は、フィリピン人のディーニョ神父さんと話したり、祝福をお願いしました。祝福をもらってから、船員さんはうれしい顔をしていました。その後、買い物に出かけました。4時半に迎えにまた行きました。インド人の船長を含むオフィサーが3人センターに来ました。センターについて、残りのパンと飲みものでイスターパティをちょっと味わい、外の買い物を行きました。写真はフィリピン人の船員たちです